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タイトルを付け難い

昨日、サロンを開催中に翁長知事の 訃報を知りました。 みな言葉を失い、しばし呆然としておりました。 翁長雄志様のご冥福をお祈りいたします。

訃報に接してすぐに思い出されたのは、 議会でのやり取りでした。 直接会話をしたことはそう多くは ありませんでしたが、一人の市民として 「協働によるまちづくり」を目指した市長 はカッコいいなと思っていました。そして 私の立候補間近に協働が見えない まちづくりになってしまったと感じた時 には本気で怒り、失望しました。 納得できない部分は依然ありますが、 議会での質問を通して、理解できる ところもありました。 尊敬する気持ちと、注意深く向き合わ なければすぐにやりこめられてし まうという強い緊張感を持ちながら 質問席に立ったわけですが、実質的な 行動の変更を迫ることは叶わず 無力さを痛感したことが、今も鮮明に 記憶に刻まれています。 (追記に議事録の一部を再掲してます)

考え方の違いを乗り越えて、一致できる ところを探りながら、粘り強く交渉する。 メッセージを出し、旗振り役となり、 どんどん進んでいく。 改革を進める時期のリーダーに適した エネルギッシュな方だったと思います。

追い詰められた沖縄において 「うちなーんちゅ、うしぇーてぃないびらんどー」 と声をあげてくださったことに、 一沖縄県民として心強く思っておりました。 ありがとうございました。 そして、病をおしてまさに命がけで 職務にあたるお姿に、勝手ながら うしろめたさのようなものも感じて おりました。 基地を挟んで県民同士が争う状況を 乗り越えていけるように、それぞれの 立場で頑張らなければならない。 それぞれの、成すべきことを。

平成25年12月定例会 無所属の会代表質問中の市長答弁

翁長雄志 市長   中村圭介議員の再質問に お答えをしたいと思います。  きょう質問をお聞きしまして、 短期間で那覇市のことを、今ま で素人だったわけですけれども、 この何カ月間で行政の仕組み から地域との難しさ、その中身 をご理解いただいたなというこ とで、大変感心をしながらお聞 きをさせていただきました。

 この協働のまちづくりなんで すが、これは基本的にいうと 100年も200年もかかるテーマ でありまして、今、約10年一生 懸命やってきたわけであります けれども、こういったものが今 100点満点のうちどれだけかと いうと、市民から見たら多分 今まで10点だったのが、20点 から30点ぐらいまでいったかな という感じだと思うんですね。    しかし、中にいますと、私たち 職員が一生懸命頑張っていろいろ 工夫をする中では、職員の努力は、 私は100%全力を尽くしたのでは ないかなというふうに思っております。 それでもなおかつそう簡単ではない ということの実情を簡単に説明させ ていただきます。  私は、市長就任になってごみ問題、 あるいは市役所は市民に対する最大 のサービス産業、市町村合併、それ から保育所の民間委託、いろいろな それぞれのテーマの中で市民と話を してきた回数という意味では、私は 全国一ではないかなというぐらい、 平均して30人単位の人たちと、これ も簡単ではありませんが、イメージ でいうと1,000ぐらいやったのでは ないかなというような感じがします。    ところが、那覇市民32万人のうち 毎年1万5,000人が交代するんですね。 いわゆる私が30×1,000で3万人に話し かけても、毎年1万5,000人が新しく 那覇においでになって、那覇から出て行かれる。  ですから、どれだけ言葉を尽くし ても、多くの市民の1割にも届かな いぐらいの声にしかなりません。 当然なは市民の友とか、いろいろな マスコミの報道等で那覇市のまちづ くり等は報道されるわけであります が、一番端的な例を申し上げますと、 あれだけごみ問題で市民がご理解 をいただいて、ごみ減量27%を達成 しましたけれども、今那覇市民の中 で、最終処分場がどこにありますか ということで30人単位の集まりで聞 きますと、多くて2人です。 少なければ1人かゼロになります。

 ですから、今、最終処分場がどこ にあるか、那覇市民は1割以下しか わからないということであります。そ れはなは市民の友にも載りましたし、 その完成の落成式は、テレビでも 新聞でもみんな報道されているわけ ですが、それぐらいある意味でまち づくりについても市民同士の落差が大きいですね。  これをいわゆる共助・自助、そう いうような意味合いで那覇市のまち づくりのために協働大使等をつくり ながら一生懸命頑張っていくんです が、この学校のコミュニティーもそう ですが、重なり合いをつくっていくこ との大変さ、この苦労さというのは 私が大変わかっています。

 ですから、今、中村議員がその あるべき姿ということと、なかなか 簡単ではないということもご理解 いただいたという意味で、私は この数カ月で大変なそのことを 学ばれたなというふうに申し上げたわけです。  ですから、そういったことを ベースにしながら、いわゆる協働の まちづくりのあり方、例えば地域と いわれましても、この地域があり まして、これを包含するこの地域 があって、これを包含するこの 地域がありますので、地域の人 と対話をしたのかと言われると、 直接的なこの地域は8割方反対 するんですね。包含する地域は 8割方今度は賛成にかわるんです。 それから那覇市全体でも約多め の人たちは賛成をするとか。  そうすると、どこにどういうふうに やるかということの対話をどれだけ 重ねても、ここの限界というものを 感じるところがあって、那覇市長と して思いというものをどのように話 をしていくか、結論を出していくか という難しさがあります。

 これを強引にやってはいけない ということは重々承知しております ので、協働のまちづくりのあり方を これから議会も一緒になって、どこ にどういうふうにすれば一番民意が しっかりと通る上に、それから那覇 市長として、あるいは那覇市として 責任を持ってまちづくりを着々と前 に進めていくというようなことの兼 ね合いの接点の落差がとても小さく なっていくような努力をやりながら、 協働のまちづくりを頑張っていきたいなと。 このように思っていますので、これ からもご支援をよろしくお願いをしたいと思います。

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